岡山家庭裁判所倉敷支部 昭和53年(家)21号 審判 1978年2月13日
申立人 森千代子(仮名)
相手方 佐藤雅夫(仮名)
事件本人 佐藤和夫(仮名)
主文
事件本人佐藤和夫の親権者を相手方より申立人に変更する。
理由
1 申立人は、主文同旨の審判を求め、その実情として次のとおり述べた。
(一) 申立人と相手方は、昭和四一年七月二〇日婚姻し、その間に同年八月二一日に長男英樹、昭和四六年四月三日に二男事件本人和夫をそれぞれもうけたが、その後夫婦の間が不和になり、昭和四七年四月二六日協議離婚した。その際、双方は、長男英樹の親権者を申立人、事件本人の親権者を相手方と定めた。
(二) 申立人は、長男英樹を引き取り、これを養育してきたが、相手方は、離婚後まもなく失踪して行方不明となり、事件本人の養育をしない。よつて、親権者変更の申立に及んだ。
2 本件記録中の各戸籍謄本、申立人本人審問の結果、佐藤京子審問の結果によれは、上記申立の実情(一)、(二)の各事実、および以下の事実が認められる。
(一) 上記離婚当時、申立人は、生活のうえから二人の子供を養育することができなかつたため、長男英樹だけを引きとり、事件本人の養育は相手方および事件本人の祖母である佐藤京子に託して、事件本人の親権者を相手方と定めたものであつた。その後申立人は、○○工場の工員として働き、月収八万円程度の収入で、二間ある借家に住い、賃料一八、〇〇〇円を支払うため、母子二名がやつと生活できる状態にある。
(二) 相手方は、離婚後、事件本人の養育を前記京子に託していたが、二ヶ月後の昭和四七年六月頃には家を飛びだし、そのまま行方不明となつて事件本人の監護養育の責任を果していない。
(三) 前記京子は、約一年間程独力で稼働しながら事件本人を養育していたが、健康を害したため、娘三村恵子、その夫三村洋一郎のところに身を寄せるようになり、その後は、上記三村夫婦が実子同様に事件本人を養育するようになつた。三村洋一郎および恵子は、○○商を営み、生活も安定し、実子二人と事件本人をへだてなく養育し、事件本人に対しても父母として呼称させている。
(四) しかし、事件本人が小学校に入学する時期となり、三村夫婦は事件本人を将来とも養育していくため養子縁組をしたいと考えた。申立人は、上記事態に至り、事件本人の将来の福祉のためには、三村夫婦に事件本人を託するのが最善であると考えるようになり、正式な養子縁組を結ぶため、自ら親権者となることとし、本件申立に及んだものであつた。
3 上記各事実によれば、相手方においては事件本人の監護養育の責任を怠つて既に久しく、申立人における生活実情は必ずしも安定したものではないが、前示養子縁組につき親権者として責任ある行動をとらせることが事件本人の福祉にも合致することは明らかであるので、事件本人の親権者を相手方より申立人に変更することが相当である。相手方の所在不明によりその意見を聴取することはできない本件においては、これを直ちに審判することもやむを得ないところであり、主文のとおり審判することとする。
(家事審判官 大内捷司)